浪切不動院(成東山不動院長勝寺)
山武市成東2551
千葉県の銚子市と千葉市を結ぶ国道126号の山武市成東付近を車で東金方面へ走っていると、右手の小高い山(石塚山)の中腹に目にも鮮やかな朱塗りの建物が見えてきます。正式名称は成東山不動院長勝寺といいますが、江戸時代に漂流した漁船が院の常夜灯に導かれ、難を逃れたという逸話から古来「浪切不
動」と呼ばれ親しまれてきました。かつては、本堂(写真上)の建つ眼下が海岸線だったそうです(現在の海岸線は9km以上も後退しています)。漁船ばかりでなく当時の流通の要であった海運をも支えた貴重な存在だったのでしょう。
空中の楼閣とも例えられる懸崖(けんがい)造りの太くダイナミックな朱塗り26本の柱組は、奇岩の岩肌と共に周囲に異彩を放っています。懸崖造りとは、山や丘の斜面を利用した建築方法のひとつで、規模の大きなところでは京都 空中の楼閣とも例えられる懸崖(けんがい)造りの太くダイナミックな朱塗り26本の柱組は、奇岩の岩肌と共に周囲に異彩を放っています。懸崖造りとは、山や丘の斜面を利用した建築方法のひとつで、規模の大きなところでは京都の清水寺が有名です。また、境内には地元出身の歌人・伊藤左千夫が「石塚の岩辺の桜ひた枝に苔むすなべに振りさびにけり」と詠んだ風情ある桜が植えられ、本堂を支える石塚山は千葉県天然記念物に指定された自然林となっています。
門をくぐり、手入れの行き届いた前庭の奥が威厳ある母屋
院に伝わる縁起書によると、朝廷より日本で初めて大僧正の位を贈られたといわれる奈良時代の僧侶・行基が、諸国行脚の折りに不動明王の尊像を刻み、当時頻発していた海難除けを祈願して開基されたと伝えられています。本堂は改修を重ね現在に至りますが、その建立時期は江戸時代初期にまで遡るそうです。JR総武線「成東駅」から徒歩で8分、車では千葉東金道路の山武成東I.C.から県道76号経由国道126号方面へ約10分。[花と緑と農芸の里]からは車で約14kmです。
■所在地=千葉県山武市成東2551
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