伊藤左千夫の故郷を訪ねて
名作『野菊の墓』を生んだ文学的風土(千葉県山武市)

 [花と緑と農芸の里]から九十九里方面へ車で15kmほど走ると、歌人で小説家の伊藤左千夫(1864-1913)の故郷・成東町(現山武市)があります。

 1864年(元治元年)、左千夫(本名孝次郎)は旧上総国武射郡殿台村の比較的裕福な自作農の四男として生まれました。1872年(明治5年)公布の学制に伴い創設された嶋小学校へ入学、卒業後も農業の手伝いをしながら漢学塾で学びます。左千夫が最初に故郷・成東を離れたのは1881年(明治14年)。政界人を志し開校間もない東京の明治法律学校へ入学するためでした。しかし眼病を患い挫折、帰郷します。悶々とした日々を過ごし1885年(明治18年)1月には家族に知らせず家出し、再度上京しました。

労働者として働きながら事業家への道を切り開き、1889年(明治22年)には搾乳業として独立。同じ年に妻とくと結婚、長男をもうけます。事業が軌道に乗り出すと同業者・伊藤並根から和歌と茶の湯を学びます。その後正岡子規と出会い門下生となり、1902年(明治35年)に子規  が亡くなるとその志を受け継ぎ根岸短歌会を牽引します。そして機関紙「馬酔木」「アカネ」を、1908年(明治41年)には同郷の蕨真らと共に「阿羅々木」の創刊に関わります。1897年(明治30年)には成東出身の安井理民らの尽力によって創設された総武本線が成東まで延伸され、左千夫はその列車に乗ってたびたび故郷へ帰り創作に励みました。
 1906年(明治39年)1月に処女小説『野菊の墓』を発表、高い評価を得ました。その後も多くの文学人たちと交流、成東の自然や九十九里の海に着想を得た多くの作品を残して1913年(大正2年)49歳の時に脳出血で他界しました。
 時代を越えて左千夫作品は読み継がれ、『野菊の墓』は幾度も映画・ドラマ化されています。左千夫が「岡も河もよし」と詠い愛した故郷・成東では官民一体となって左千夫の偉業を顕彰する活動を続け、50回忌を迎えた1962年(昭和37年)には生家前や本須賀海岸、石塚山・浪切不動などに歌碑を建立、1972年(昭和47年)には生家の隣に左千夫ゆかりの品々を納めた「成東町歴史民俗資料館」(現山武市歴史民俗資料館)を建設しました。
 都市近郊型農村地域として、稲作をはじめとする農業の盛んな山武市ですが、毎年20万人以上が訪れる関東有数のイチゴ狩りの名所としても知られています。数多い観光農園の中には5月中旬までイチゴ狩り体験が出来る農園もあるので、読者の皆さんも暖かなこの季節に伊藤左千夫の史蹟を訪ねる「春の文学散歩」と「イチゴ狩り体験」を楽しんでみてはいかがでしょうか。


D石塚山・浪切不動
歌碑「石塚の岩辺の桜ひた枝に 苔むすなべに振りさびにけり」…1906年(明治39年)3月8日、母の三回忌に墓参のため帰郷した際に、鉱泉宿の成東館で催された埴岡短歌会で詠んだ歌。

EJR成東駅構内
※改札内0番ホーム
歌碑「久々に家帰り見て故さとの 今見る目には岡も河もよし」…石塚山の歌碑と同じ短歌会で詠んだ歌。短歌会へは同郷の歌人蕨真らが出席した。
  F成東中学校
歌碑「故郷の吾家の森は楠若葉 椎の若葉に我を待てりけり」…明治40年の「沙羅双樹」より
※無断で校内への立ち入りはご遠慮下さい。
C野菊路
記念公園から左千夫の生家・山武市歴史民俗資料館へ向かう約300mの小道が整備され、のどかな散策路になっています。

@山武市歴史民俗資料館
2階の常設展示室は伊藤左千夫の生涯と作品、愛用の文机や茶器などの遺品、同人たちとの関わりを示す資料などで構成されています。毎年春と秋の「左千夫茶会」をはじめ様々な催事が企画されています。最寄り駅は成東駅(JR総武本線・東金線)。徒歩約15分、または駅前から路線バス「ちばフラワーバス海岸線」(作田南行き/蓮沼循環線)に乗って約4分「左千夫生家前」降車です。
information ■入館料(ひとり) 学生・一般130円(20名以上の団体100円)/小・中・高生80円(20名以上の団体50円) ※但し山武市在住の方、幼児、65才以上の方、身体障害者手帳等をお持ちの方は無料。■開館時間9:00〜16:30 ■休館日 月曜日/祝祭日の翌日(月曜日が祝祭日の場合は開館、火曜日休館)/年末年始/展示替・資料移設時等 ■駐車場 乗用車11台/大型バス3台

A伊藤左千夫生家
築後約220年、左千夫が20歳まで過ごした生家です。1950年(昭和25年)千葉県史跡指定。敷地内には、茅葺き寄せ棟造りの母屋と土蔵、茅場町時代の茶室「唯真閣(ゆいしんかく)」が没後に移築されています。
左千夫が「故郷の吾家の森」と詠んだ庭には「牛飼が歌よむ時に世の中の あらたしき歌おほひに起る」の歌碑が建てられています。


▲ 政夫と民子の像
B伊藤左千夫記念公園
1991年(平成3年)設立。敷地内には顕彰碑等が点在、左千夫が好きだった椎の木をはじめ様々な樹木や草花が植栽されています。■歌碑「九十九里の波の遠音や降り立てば 寒き庭にも梅咲きにけり」 ■アララギ派の8歌人の歌碑 ■「野菊の歌」5首と「ほろびの光」5首の歌碑 ■「野菊の墓」碑=碑文は小説の中で左千夫の生家周辺の情景を描いたと思われる部分を抜粋したもの ■「野菊の墓」小説発行時の挿し絵を基にした主人公、政夫と民子の像 ■伊藤左千夫文学碑=碑文は小説 「春の潮」と「分家」の中から九十九里の海を描いた部分■伊藤左千夫を歌う碑=左千夫の歌に曲が添えられた4曲が碑文となっています。

▲野菊の歌・ほろびの光 歌碑


東 京 方 面 か ら 山 武 市 へ の ア ク セ ス

【 電  車 】 ■東京駅から特急しおさい号で成東駅まで約60分 
■千葉駅から総武本線(普通列車)で成東駅まで約50分

【自 動 車】

■東京駅から特急しおさい号で成東駅まで約60分 
■千葉駅から総武本線(普通列車)で成東駅まで約50分
【高速バス】 ■浜松町または東京駅八重洲口から成東車庫行きシーサイドライナーで約1時間40分
■JR千葉駅または千葉中央駅から成東車庫行きフラワーライナーで約50分

今号の[花と緑と農芸の里 周辺案内・拡大版]の編集にあたって山武市歴史民俗資料館様に画像の使用許諾のほか、山武市内施設との交渉、本文校正等でお世話になりました。有り難うございました。
(編集協力:山武市歴史民俗資料館/山武市観光協会/山武市立成東中学校/浪切不動尊 他)

■参考資料 「山武市歴史民俗資料館」リーフレットおよびWEB SITE/「伊藤左千夫アルバム」永塚 功・編著(成東町教育委員会発行)/「伊藤左千夫文学アルバム」永塚 功・著 伊藤左千夫記念館・監修(蒼洋社発行)/「伊藤左千夫の歌碑・文学碑」永塚 功・著(成東町教育委員会発行)/「左千夫の遺品と歌碑」成東町教育委員会・編(成東町発行)/「左千夫の文学と文学碑」永塚 功・著(成東町教育委員会・編集発行)/「生命の叫び 伊藤左千夫」藤岡武雄・著(新典社発行)/「伊藤左千夫と成東 思郷の文学」永塚 功・著 伊藤左千夫記念館・監修(笠間書院発行)