伊藤左千夫の故郷を訪ねて | |
名作『野菊の墓』を生んだ文学的風土(千葉県山武市) |
労働者として働きながら事業家への道を切り開き、1889年(明治22年)には搾乳業として独立。同じ年に妻とくと結婚、長男をもうけます。事業が軌道に乗り出すと同業者・伊藤並根から和歌と茶の湯を学びます。その後正岡子規と出会い門下生となり、1902年(明治35年)に子規 が亡くなるとその志を受け継ぎ根岸短歌会を牽引します。そして機関紙「馬酔木」「アカネ」を、1908年(明治41年)には同郷の蕨真らと共に「阿羅々木」の創刊に関わります。1897年(明治30年)には成東出身の安井理民らの尽力によって創設された総武本線が成東まで延伸され、左千夫はその列車に乗ってたびたび故郷へ帰り創作に励みました。
東 京 方 面 か ら 山 武 市 へ の ア ク セ ス
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