様々な不祥事に続き、土俵上での取り組みそのものまで疑われるようになってしまった昨今話題の大相撲界――。
 さて今回の噺は『阿武松(おうのまつ)』―― 相撲取りが「一年を十日で暮らすいい男」と呼ばれた江戸時代。奥能登出身、大飯喰らいの長吉は「腹一杯の飯が喰える」と、江戸へ出て相撲取りを志します。名主の紹介状をもって武隈(たけくま)部屋へ弟子入りしますが、朝飯前に「子供の頭くらいの大きさ」のおむすび17〜18 個をこっそり平らげては、毎日何くわぬ顔で朝飯の膳についていました。米びつがすぐに空になるのを不審に思ったおかみさんが盗み喰い現場を押さえ親方に注進、怒った親方はこんな大飯喰らいを弟子にしていてはかなわないと長吉を破門にしてしまいます。
 おめおめと故郷へ帰るわけにもいかず、厭世気分になった長吉は、この世の食い納めとばかりに泊まった旅籠で何升もの飯を喰い続けます。
 
  あまりの喰いっぷりを心配して宿の主人が事情を聞きに来ます。大層な相撲ひいきであった主人は、知り合いの錣山(しころやま)親方への弟子入りを世話した上、スポンサーになって毎月の米も差し入れてやると約束してくれます。「腹一杯喰うのも相撲取りの仕事のひとつ」と入門を許した錣山親方は長吉の身体に才能を見てとり、自分の出世名でもあった「小緑」という四股名を与えます。
身投げするつもりだった長吉はその後、死に物狂いで稽古に励み異例の速さで出世、四股名を小柳長吉に改めます。北国育ちの色白の肌が、土俵で力が入るときれいな朱を帯びる姿に女性客の人気を博します。やがて「飯の仇」武隈との大一番にも勝ち、長州藩主・毛利斉熙(なりひろ)公お抱え力士に召し上げられるという、第六代横綱・阿武松緑之助の出世物語です。

 
   それにしても凶作が続き、米価の安定しなかった江戸時代のこと、大飯喰らいの長吉を破門にした事で、仇役にされてしまった武隈が哀れにも感じます。人情深く親孝行なことでも有名な横綱・阿武松緑之助、噺の内容の多くは創作ですが実在した相撲取りです。大相撲黄金時代を築いた寛政年間の第四代横綱・谷風(たにかぜ)・第五代横綱・小野川(おのがわ)以来30年ぶりに江戸に誕生した第六代横綱としてヒーローとなりました。1828年(文政11年)から45歳で引退する1835年(天保6年)まで横綱在位14場所、優勝5回、幕入り後の勝率は8割を超えます。近年、不祥事続きの阿武松部屋――緑之助が泣いています。



富岡八幡宮(東京都江東区)にある歴代横綱と雷電(大関)を顕彰した「横綱力士碑」。第六代横綱・阿武松緑之助の名も刻まれています。高さ3m50cm。
 
[旬の噺]は、季節の草花や農作物が登場する噺(=落語)の世界を紹介するコーナーです。