花や緑、農漁産物などが登場する噺(=落語)の世界を紹介するコーナーです。
第11回の噺は『馬の田楽』です。
 現代の物流で陸送といえばトラックが主流ですが、江戸時代は牛馬がその役割を担っていました。その背に直接荷を括ることはもちろん、大量の荷を運ぶときは荷車を牽かせる牛車や馬車が用いられました。特に馬は険しい山道などで人や物資を長距離運ぶために欠かせず、商家の店先にはその手綱を繋ぎ止めるための固定柱が必ず設置されていました。継続的に荷を牽く馬の仕事率を「馬力」と呼びます。ちなみに人間ひとりの仕事率は馬の10分の1です。



── 馬の背に味噌樽を二丁積み、運んできた馬方(馬で人や荷の運搬を請け負う職業)が、ある商家の店先に馬を繋ぎます。近くで子供たちが遊んでいたので「馬に悪さなんぞするなよ。蹴っ飛ばされっぞ。」と釘を刺して店の中へ。
しかし何度声をかけても家人が出て来ません。馬方は道中の疲れもありついウトウト居眠りをしてしまいます。その間に(案の定)子供たちは馬にあれこれ悪戯を仕掛けます。漸く奥から出て来た店の者に起こされますが、味噌は注文していない、荷は宛名違いであると言われ追い返されてしまいます。
 ブツブツ言いながら店から出て来ると繋いであったはずの馬がいません。子供たちの悪戯に堪りかねて逃
げてしまったのです。馬方は子供たちに「ここに繋いであった馬を知らないか」と訊ねますが悪戯盛りの悪童たちは、のらりくらりとごまかすばかり。困った馬方は、味噌樽を積んだまま逃げた馬を探し始めます。

美人画に長け京阪浮世絵界の第一人者と呼ばれた西川祐信が享保8年(1723)に出した風俗絵本「百人女郎品定」の中に描かれた田楽茶屋の女(部分)。

 道往く人に訊ね歩きますが、耳の遠い老婆だったり少々頭の軽い男だったりで埒が明きません。次に訊ねた男は酔っ払いの老人でした。
 「馬をご存じないですか?」
 「馬? 馬をご存じかって? 馬を知らない奴がいるんだか。顔が長くて、タテガミがあって…。」
 「そりゃ馬はご存じでしょうが、私が探しているのは味噌樽を積んだ馬なんです。」
 「何?」
 「味噌荷を付けた、味噌付けた馬、ご存知ないですか?」
 「何を言い出すんだぁ、こいつ。ワシしゃこの歳になるまで、馬の田楽なんぞ見たことないぞぉ。」
 ── この噺のオチに使われた『田楽』とは豆腐に串を刺し味噌をつけて焼いたもの。後にコンニャクや里芋、ナスなどが材料に加えられます。田楽の名の由来は諸説ありますが、稲作の豊穣を司る「田の神」が一本足で踊る様に似ているからともいわれています。
 味噌の起源は紀元前の中国で、日本へは600年代(遣隋使の頃? )に大豆を使った豆味噌が伝承されたそうです。その後、米を使った米味噌、麦を使った麦味噌など各地方の気候風土や食習慣などによって工夫が加えられ全国に普及しました。味噌は優れた栄養分を持つと同時に、食材の保存や匂い消しとしての役割もあります。一時は洋食ブームに押され味噌離れともいわれましたが、昨今、発酵食品などの健康食ブームで再び脚光を浴びています。長寿で知られたかの徳川家康も根菜3種と青菜5種を入れた「五菜三根」の味噌汁と麦飯を常食として健康を心掛けていたそうです。
 間もなく[花と緑と農芸の里]でも恒例の手前味噌の仕込みが始まります。




[旬の噺]は、季節の草花や農作物が登場する噺(=落語)の世界を紹介するコーナーです。