花や緑、農漁産物などが登場する噺(=落語)の世界を紹介するコーナーです。
第12回の噺は『道灌』です。
 偉そうな武士や、位の高い者や偉人を茶化したり、故事や逸話を逆手に取った笑いも落語の楽しみのひとつ。
 暇つぶしに遊びに来た八五郎に、掛け軸に描かれた絵の由来を話して聞かせる物知りのご隠居。曰く── 江戸城を築いたことで知られる室町時代の武将・太田道灌が鷹狩りに出掛けた際、にわか雨に遭い、ある小屋に入って「蓑※1を貸してくれ」と頼んだところ、そこに暮らす貧しい村娘が、物も言わずに顔を赤らめ、お盆に載せた山吹の枝を差し出す。道灌は「花が欲しいのではない」と怒って帰ってしまう。その話を聞いた近臣の者が、それは『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき』という古い和歌※2になぞらえて、貧しさ故、蓑(実の)ひとつ無い悲しい心情、申し訳なさを娘は伝えたかったのでしょう、と話す。それを聞いた道灌は「予はまだ歌道に暗いのう」と自らを嘆き、一層歌道に励み、後に立派な歌人になったそうな。── 話を聞き終わった八五郎は、いつも傘を貸しても返さない仲間に、断る時の言い訳に使おうと企み、家に戻って雨を待ちます。

 家に来る仲間を「道灌」に仕立てますが、なかなか傘を借りる者が現れません。仕方なく提灯を借りに来た仲間に「提灯も貸すから、傘も借りろ!」と強要。「それじゃあ、傘も貸せ」という仲間に例の和歌を聞かせるものの、しどろもどろで意味が伝わらない。「なんだぁ、そりゃ、字余りの都々逸かぁ?」「お前は歌道に暗いなぁ」「そりゃそうだ、角(歌道)が暗いから提灯を借りに来た」──。


八重の山吹

一重の山吹
一重の山吹には実がなりますが、八重の山吹は雌雄のしべが花弁化して実がなりません。


 和歌の達人であった祖父や父親の影響を受けるも、武勇に耽っていた若き道灌が本格的に歌を志す機となったとされるこの逸話には、後日譚があります。村娘の名は「紅皿」といい、後に道灌に和歌の友として江戸城へ招かれ、道灌没後は、庵を建てて尼となり、道灌を偲び暮らしたそうです。新宿区の大聖院境内にある「紅皿の碑」は、彼女の墓所であるとされています。太田道灌の銅像は、縁ある土地に数多く建立されていますが、新宿中央公園には下図「太田道灌初テ歌道ニ志ス図」を模した二人の銅像が建てられています。

※1 わらで作られた雨具。レインコート。
※2 後拾遺和歌集に収められている兼明親王の和歌。
   「なきぞかなしき」は元歌では「なきぞあやしき」と
  なる。道理や礼儀にはずれているという意。


新撰東錦繪『太田道灌初テ歌道ニ志ス圖』明治20年(1887年)月岡芳年画
(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)

 

[旬の噺]は、季節の草花や農作物が登場する噺(=落語)の世界を紹介するコーナーです。