公益財団法人花と緑の農芸財団

 第19回となる旬の噺は『千両みかん』。
この季節、炬燵に入ってミカンを召し上がりながら本誌を読んで頂いている方も多いのではないでしょうか。
 舞台は呉服を商う大きな商家。医師に病ではない、と云われながらも日に日に衰弱していく若旦那を心配した大旦那は、番頭に様子を見にいかせます。

恋の病と思いきや、そうではない。漸く口を開くと「丸くてツヤがあって瑞々しいもの」が欲しいという。何とそれは「ミカン」。無理難題を押しつけられると思っていた番頭は拍子抜け。お安い御用、と胸を叩いて大旦那に報告しますが、季節は真夏。
「そんな安請け合いをして、もしミカンが手に入らなかったらお前は主人殺しの大罪になるんだぞ」
と脅かされ、慌てて近所の八百屋へ走りますが、真夏の店頭にミカンのあるはずがない。方々の八百屋を訪ねますがない。藁をも掴む思いで更に訪ね廻ると或るミカン問屋を紹介されます。

 「夏にミカンなんてどういう訳です?」。
話を聞いたミカン問屋の主人は番頭を気の毒がり、蔵に積まれた空のミカン箱を片っ端からひっくり返して探してくれます。すると、箱の底にたった1個だけ残ったミカンが見つかりました。
 「た、助かりました 有り難うございました。お幾らで分けて頂けるでしょうか」と訊ねるとタダでよいから早く持って行けと云う。しかし大店の番頭は見栄を張り「そういう訳には参りません。金に糸目は付けないので売って欲しい」と言い張ります。その言い草にカチンときた問屋の主人は、「ミカン1個、千両で売りましょう」と言い返す。思わぬ法外な値段を吹っ掛けられ、慌てても後の祭り。「ビタ一文値引きしない」と意固地になった問屋の主人の剣幕にすごすごと店に帰ってきます。
 このままでは主人殺しの罪を被せられると恐る恐る大旦那に報告すると「大事な息子の命が助かるのなら千両なんて安いもんだ」と云う言葉にビックリ。千両の大金を払って1個のミカンを持ち帰り、臥せっている若旦那の枕元へ。

 涙を流しながら美味しそうにミカンを食べる若旦那を、大旦那夫妻と一緒に見ながら「あの皮だけでも5両位か、白いスジでも…」と考えると、だんだんミカン1個の客観的な値打ちと、目の前の光景の中で価値観の錯覚を起こしていく番頭。「残りの3房は、どうぞ両親と番頭さんで召し上がって下さい」と、目の前に出された3房のミカン。これだけで三百両。番頭にはそれが自分が生涯奉公しても手にできない程の大金に見えてしまい、とうとう3房のミカンを奪って逐電してしまいました。

 噺はここで終わりますが、もちろん番頭さんは若旦那の様にミカンが食べたかった訳ではありませんよね。一瞬の気の迷いで奉公先をしくじってしまい、後で冷静になった時の番頭さんが、少し可哀想にもなります。
 今は保存技術が進んだ事もあって、ほぼ一年中ミカンを食べられるようになりました。品種改良によって甘さも増し、種もあまり見掛けません。
 冬のビタミン不足を補うために、手が黄色くなる程たくさん食べた世代の方の中には、「ミカン釣り」も懐かしいのではないでしょうか。卓袱台の上に山盛りにしたミカンに、針を刺し糸を絡めて(手を触れずに) 釣る遊びです。上手に釣れないと、いつまでもミカンを食べる事が出来ませんでしたね。

▲みかんの一大産地である和歌山県では5月中旬に白いみかんの花が香り高く咲き誇ります。懐かしい童謡「みかんの花咲く丘」が聞こえてきそうな風景が広がります。