公益財団法人花と緑の農芸財団

 花や農漁産物が登場する落語を紹介する【旬の噺】。第21回の今号は『夏の医者』です。萵苣(チシャ)はレタスの和名。元禄時代に発行された日本最古の農書である「農業全書(宮崎安貞著)」には、既にその栽培法などが記されています。

 夏の盛りに或る無医村で暮らす老いた農夫が倒れ、食欲も落ちてきた。心配した息子は見舞いに来た叔父に留守番を頼み、隣村の医者・玄伯へ往診を願うため六里(24km弱)の道のりを急ぎました。裏庭の草むしりをしていた玄伯は、迎えに来た息子に薬籠(携帯用の薬箱)を背負わせて隣村へ急ぎます。
 途中、近道をしようと山道を選び、大汗をかきながら峠に差し掛かった時、二人は突然現れた大蛇にアッという間に呑み込まれてしまいました。気付かぬうちに生温かい暗闇の世界に放り込まれた二人。玄伯は「このままでは大蛇の腹の中で溶かされてしまう。なんとか脱出する方法はないものか」、としばし知恵を絞ります。やがて息子に預けた薬籠を引き寄せ、即効性のある下剤を手早く調合して周囲に播き始めます。すると効果てき面、大蛇は七転八倒し、二人は大蛇の尻の穴から無事脱出に成功します。
 転がるように山を下りようやく家に辿り着き、臥せっていた農夫を診察すると、ただの食中りだと分かります。

 玄伯が「何か大喰いしなかったか?」と訊ねると、農夫は好物のチシャの胡麻よごしを大層喰ったという。「そりゃいかん。夏のチシャは腹に障る。」
 早速薬を調合しようとすると、慌てていた息子は大事な薬籠を「大蛇の腹の中に忘れて来てしまった」という。さて困った。仕方がないので玄伯は峠へ引き返し、すっかり衰弱し喘いでいる大蛇に向かって「お前の腹の中に忘れ物をしたから、もう一度私を呑み込んで欲しい」と頼みますが断られます。「今度はひとりだけだから」と説得しても大蛇は承知しません。「どうして駄目なんじゃ?」と訊ねると、大蛇は「もういやだぁ、夏の医者は腹に障る」
── 平凡なダジャレ落ちで終わります。

大きな笑いを呼ぶ箇所も少なく、怪談噺ともひと味違う珍しい噺です。のたうち回る大蛇の滑稽な表情や脱出の光景をオーバーアクションで演じた二代目桂枝雀の『夏の医者』も至芸でしたが、六代目三遊亭圓生が演じた『夏の医者』は、のどかな田舎言葉で泰然とした(ある意味、職業意識の高い) 玄伯が、牧歌的な味わいを出していて民話風の趣に仕上げられていました。

 西アジア原産でキク科アキノノゲシ属のレタスは、生食用の高原野菜として広く普及していますが、しゃぶしゃぶ鍋や炒飯の具などにも最適です。収穫せずに放置すると秋頃、直径1cmほどのかわいい黄色の花をつけます。


▲楊洲周延・画「千代田之大奥 追ひ羽根」より
(国立国会図書館蔵)


本記事は花の心78号(2015年/夏号)に掲載されたものです。