日本の夏・・・都市部でのヒートアイランド現象はもはや「寝苦しい」などという生易しい状況ではなくなっています。昼の暑さを心地良く冷ましてくれた夕立が極端に減ったかわりに局地的な集中豪雨が増えています。原因は化石燃料使用による地球温暖化や自動車の排気ガス・エアコン室外機の廃熱などとも言われていますが、それには多くの反論もあるようですし、温暖化は地球の大きなサイクルなのだという説もあります。
 いずれにしても、道路や駐車場、建物の屋上などをすべてアスファルトやコンクリートで覆ってしまい「土」の表層面がほとんどない現実をみれば、私たちが暮らしの便利さを追求するが故に「夏の夕暮れに吹く涼風」という大切な宝物を失ってしまったことは確かなようです。そして、それは都市部だけの問題ではありません。[花と緑と農芸の里]があるような里山・農村部ではどうでしょうか。
 本来、保水環境として抜群の効能をもつ「田んぼ」面積は農業人口の減少・高齢化のために減反政策以降半減し、従来通り稲作のために水が張られるものの早場米が主流の昨今では、肝心の夏場にはその水も落とされてしまっています。作業効率化のために暗渠排水が整備され、かつての小川はU字溝にとって代わり、蚊やボウフラの発生を嫌って多くの沼や池は埋め立てられてしまいました。山では、保水能力が低いとされる針葉樹林ばかりで、しかも間伐も枝打ちもされることなく放置され昼も陽光が差さずに下草は育ちません。森林の保水性は完全に失われてしまいました。農村部の自然な水循環の崩壊は都市部以上とも言えます。




 人間は体温調節能力を備え、ほぼ一定の体温を保ち続ける事ができる恒温動物。暑いと感じて出てくる「汗」は、上昇する体内の熱を発散する大切な生理現象です。その「汗」を不快と感じ、エアコンなどの冷気によって抑制してしまうことは身体に様々な弊害を及ぼします。環境に優しい夏の過ごし方は、同時に身体にも優しい暮らし方なのだということでしょうか。
 鎌倉時代にまとめられたとされる吉田兼好の『徒然草(上巻第55段)』には「家の作りようは夏を旨とすべし」と記されています。高温多湿である日本の家屋は本来、夏場に過ごしやすいことが大切であると考えられ、冬の寒さはともかく暑さを和らげる風通しの良い家が好まれてきました。
 たとえば夏の間は、襖(ふすま)や障子戸を簾戸(すど)や葦戸(よしど)に替えることで風の流れを部屋に呼び込み、視覚的な広がりと開放感を出して細かな隙間から庭の景色を窺う風情などを楽しみました。建具を替えることが難しい現代の住宅では、サッシ窓の軒下に簾(すだれ)を吊すだけでも遮光効果に加え、窓を開けた時に優しい風が通り、見た目の「涼」効果を得ることができます。
――それは、ほんの些細なこと。障子をはずし、葦戸(よしど)に取り替え、居間と居間の仕切りに、すだれを掛ける。そして、畳の上に花ござを敷き、軒下に風鈴を吊す。たったこれだけのことなのだが、室内はいっぺんに涼しげな夏になる。
        (高田喜佐・著「暮らしに生かす江戸の粋」より)


 そもそもすだれは『万葉集』や『枕草子』に登場するほどの伝統ある日本の夏の風物詩で、江戸時代の浮世絵にも度々登場しています。美しい正絹や緞子(どんす)などで縁取られた高貴なすだれは御簾(みす)と呼ばれ宮殿や神殿などで間仕切りとして用いられてきました。
 また、室内の布製品による「涼」の演出も効果的です。ソファカバーや座布団カバー、部屋の入り口などに掛けている暖簾(のれん)の素材を麻や苧麻(ちょま)に替えたり、涼しげな色やエスニック風の柄を選ぶだけでも気分が変わります。フローリングの床はひんやり心地良いままに、畳の部屋には花茣蓙(はなござ)や、藺草(いぐさ)カーペットを敷くと汗をかいた足でもベトつく感じがなくなります。
 こうしてせっかく部屋で夏を涼しく過ごす工夫をしても、なかなか室温が下がらない・・・そう思われたら、一度室内を見渡して見てください。ずいぶん多くの電化製品に囲まれて暮らしていることに気付きませんか。かつての生活には無かったものばかりです。熱は高い方から低い方へと流れます。照明器具をはじめ、冷蔵庫、炊飯器、テレビ、パソコン、AV機器、電気ポット等々、全てが発熱源です。それらの放射熱によっても室内の温度は上昇します。不要な電化製品は電源を落とし、努めて待機電力をゼロにしましょう。
もちろん私たち人間も60W〜100Wの電球と同じくらいの熱を常に発し続ける「発熱体」ではあるのですが…。



 『風鈴は風を知るためのものにて、音をもてあそぶ具にはあらず』とは法然上人のお言葉だそうですが、暑い日には、その「音」にすがりたい気分になります。現在、購入することが出来る風鈴の素材には鉄やガラスの他、銅や真鍮、竹、陶器、竹炭など様々なものがあるようです。自分好みの澄んだ清らかな「音」が鳴ればどんな素材でもうれしいものです。風鈴の故郷は中国で、元々風鐸(ふうたく)と呼ばれる魔除けの道具として軒先に吊していたものであるとされています。東南アジアで多く見かける細長く堅い素材(筒状)の木製風鈴には、日本の火箸風鈴や西洋のモビールやドアベルと同じ構造を見ることが出来ます。
――雨上がりの日曜日。軒下で風鈴が鳴っている。紫陽花が白い花を咲かせ、濡れた竹垣の上をカタツムリがゆっくりと移動している。つのを出したり引っ込めたり。風鈴の音色に聴きほれているよう。 (高田喜佐・著「暮らしに生かす江戸の粋」より)
 江戸時代末期に作られるようになった江戸風鈴と呼ばれるガラス製の風鈴は、最盛期には200もの工房があったとされていますが現在ではたった一軒になってしまいました。かつて売り子の元気な声が当たり前の物売り(行商人)の中でも、風鈴売りだけは売り声を上げなかったそうです。商品の鳴りが「売り声」というところでしょうか。東京では、毎年7月9日、10日の四万六千日の日、浅草寺境内で開催される「ほおずき市」で多くの江戸風鈴と出会うことができます。
 昨今の集合住宅などの環境では風鈴の音が生活騒音としてトラブルになることも少なくありません。吊す時季や時間帯などに気配りして、風の強く吹く日には室内に取り込んでおく必要があるようです。

音で「涼」を感じるものといえば、凜とした切子硝子の音やところてんをすする音、打ち上げ花火、垣根越しに聞こえる行水の音なども風情があります。また、スズムシをはじめクツワムシ、コオロギ、マツムシなどの虫の音は日本人にしか分からない涼味でしょう。虫売りという商いもあったそうです。




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