健の30歳目前、時代が焦臭さを増していく中、その焦燥感を跳ね返すように描かれた代表作が次々と生まれています。県立女学校で教鞭を執っていた今井純さんと結婚した1939年(昭和14年)からは、3年連続で二科展へ出品します。第26回二科展へ「ひるね」「飲む男」を出品し、「ひるね」が入選。第27回二科展へ「睡れる水引人」を出品・入選、第28回二科展へ「はじまり」を出品し、入選しています。その間に日本は世界大戦へ参戦、真珠湾攻撃の高揚感が国を挙げての消耗戦への端緒となりました。やがて健も召集され、1945年(昭和20年)終戦により除隊したのは35歳の時でした。恐らく、この頃に書かれたものであろう健の叫びが残されています。 |