内田太郎吉は埼玉県北足立郡谷塚村(現草加市)の内田半兵衛の長男として1850年(嘉永3年)に生まれました。
それはペリーの黒船が浦賀に来航するわずか3年前でした。揺れ動く時代の中で太郎吉は幼少の頃から花好きの少年として知られ、自ら花作りにも励みました。 |
大政奉還・江戸城無血開城――時代は大きな変化を迎え、江戸が東京府となった1868年(明治元年)に太郎吉は好きな花の道で身を立てようと上京しました。
下町の人々の温かい人情に触れながら、無心に励んだ修行の甲斐あり下谷根岸に寛永寺創建(1625年)の頃から八代続く老舗花問屋の株を譲り受け、新たに下谷下車坂に[花太]を開業したのは1886年(明治19年)、太郎吉36歳の時でした。当時の府内には[花太]を含めて生花問屋は三軒しかありませんでした。
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開山堂へ向かう長い石段のかたわらに建つ祠。
隣にある「内田翁顕彰碑」は、水仙羅漢建立50周年に行われた追善供養の際に二代目内田松之助夫妻と発起人らによって建てられました。
画像提供:鋸南町地域振興課まちづくり推進室 |
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