前号で、「おむすびには単なる食べ物ではない『何か』が結び込められている」と書きました。
3月11日の東日本大震災以降、被災地へ届けられた膨大な数のおむすびには避難された人々に心を寄せた「祈り」や「願い」や「激励」が幾つも結び込められていたことでしょう。手作りのおむすびによって、つないだ命を無駄にしない、一日も早い復興が望まれます。

 2011年3月11日午後、多くの尊い人命と、その暮らしを奪い去った地震と大津波。身ひとつで避難した人々は、その瞬間から、続く余震におびえ、寒さや不安と戦いながら想像を絶する過酷な避難生活を余儀なくされました。ライフラインが寸断され、情報伝達の脆弱さが露呈、被災状況や避難の実態が判明するのに数日を要しました。いったい何人の人々が、何処へ身を寄せ援助を待っているのか。すぐにでも手を差し伸べたい人々の心を苛立たせました。
 生存者の捜索が始まると同時に、避難所への支援にいち早く立ち上がったのは、同じ被災地でありながら比較的被害の少なかった福島県会津地方の人々でした。震災4日後、行政による炊き出しの整備が進む中、まずは地元の食彩工房の厨房を借りて美容師さんを中心とした有志23人で300個のおむすびを会津地方災害対策本部経由で避難所へ届けました。しかし、その数は必要数の1%にも満たないものでした。
 長期戦になること、大量の材料と持続可能な組織が必要であることが分かりました。そこで、会津のソーシャルビジネス4業者が主体になり、会津大学短期大学部が協力体制を敷いた[会津おにぎりセンター 元気玉プロジェクト]を結成、3月17日会津大学短期大学部調理室において本格的に始動しました。



 慣れない手つきでお米を研いだり、おむすびを結ぶ若者たちを経験者が支えます。農家出身の学生が重い米袋を背負います。未曾有の災害の中、奇跡的に助かった大切な命を守ろうと皆が必死でした。初めて会ったばかりの幅広い年齢層の人々の間には、やがて心の絆が結ばれていったといいます。

 行政からの材料調達が困難な状態だったため、プロジェクト独自で県内の個人農家やJAなどから供給を受け、同時に県外からの搬送ルートも確保、ネットやツイッターで材料(米・塩・ふりかけ・具材など)提供と、活動資金やボランティアを広く募りました。中には喜多方市の小学校から温かいメッセージと共に届けられた児童たちが収穫したお米も含まれていました。産・官・学・民の皆が早朝5時半に会津短大調理室に集合し、毎日1,500〜2,000個のおむすびを結び、食糧の供給量格差が生じている地域や避難所を調整して、「今、足りていない」避難所へ重点的に届けられました。




 大きな被害を受けた沿岸地域での胸を締め付けられるようなニュースが次々と伝えられる中、運搬用のダンボール箱には地元の女子高生たちによって応援メッセージが書かれ、大阪在住のイラストレーターがアート・ボランティアで描いたオリジナル・キャラクターと共におむすびが詰め込まれました。


 冷めても美味しいのがおむすびの長所とはいえ、春がまだ遠く、雪さえ舞った震災当時、灯りも暖房もない避難所で冷えきったおむすびを「生きのびるためだけ」に食べた人々の中には「もう、おむすびなんて見たくない」――という方もいらっしゃると聞きました。生活の再建は遠い道程になるかもしれません。でも、いつか元気を取り戻された時、皆さんの命をつなぐために祈りを込めたおむすびを結び続けていた人々が、こんなにもたくさんいたことを思い出して頂けることを願って います。


 


▲長い間、避難所の壁に貼られることになったダンボール箱の応援メッセージ。

[会津おにぎりセンター 元気玉プロジェクト]実行委員会 NPO法人寺子屋方丈舎/(株)明天/NPO法人素材広場/(有)会津食のルネッサンス/会津大学短期大学部/福島県会津地方災害対策本部/のべ150名の福島県内外ボランティア ■この頁は、会津大学短期大学部(http://www.jc.u-aizu.ac.jp/)とNPO法人素材広場(http://sozaihiroba.net/)のWEB SITEを元に編集、画像の掲載もご快諾頂きました。皆様のご活躍に心より敬意を表しますと共に、ご協力に感謝申し上げます。(敬称略)
※インターネットの動画サイトYou Tubeで「元気玉プロジェクト」を検索すると、ドキュメントをまとめた映像を見ることができます。
※「元気玉プロジェクト」は、避難所となった県立高校の多くが新学期を迎えた4月7日まで継続されました。

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