おむすびの歴史を紐解くと、まるで戦の歴史そのもののようにも感じますが、それはあくまで「表」の歴史であり、歴史に名を残さない一般の領民や農民たちのあいだでは、おむすびという呼び名があるにせよ無いにせよ、麦飯や雑穀であったにせよ、便利な携帯食として田んぼや畑仕事などの間食として利用されていたことは想像に難くないでしょう。また、古来より米の信仰が厚かった農村では、豊作祈願や神事の際におむすびを捧げものとする風習があり、現在も全国各地で継承されています。
長く続いた下克上の時代、国盗り合戦も終盤になるに従って兵糧分離が進められ、それまでの兵糧携帯の義務から兵士は解放されます。軽視個々人が携帯するよりも、中継地などの領民たちに義務として課し調達させる方が合理的であるということになりました。
兵糧の手配や調達に長けた武士が出世することもあったようです。
「農時を違(たが)えざれば、穀は勝(あ)げて食ふべからざるなり」という言葉がありますが、その頃の戦は主に農閑期に行われいたので、冬の保存食がそのまま兵糧として工夫されることもあったようです。現在では、郷土食として有名な笹団子やほうとう、五平餅、きりたんぽ、南部煎餅などは陣中食として発達したのではないかとも言われています。 |