さあ、美味しいおむすびを心を込めて結びましょう。

 

お米、お水、お塩――このシンプルな素材がおむすびの全てです。昔から私たち日本人は、たったこれだけのものから勇気や元気をもらってきました。
 お米の上手な炊き方、といっても炊飯器の機能が極めて優秀になった今は失敗することの方が難しい。無洗米も普及して、お米を研がない家庭も多いようです。日本のお米は、ほとんどがジャポニカ米という粘り気の多いお米なので、それを炊くのに適しているのは軟水だと言われます。日本の井戸水や水道水はほとんどが軟水です。ミネラルウォーターを使用する時には硬度を確認することが必要になります。哲学者で作家の阿部次郎(1883−1959)は、荘内中学(山形県)時代の上級生たちとの共同生活を振り返って「最もつらかったのは、冬、雪が降る夕暮れの井戸端でする米とぎであった。七、八人分の一日の米は相応の分量である。北国の冬の寒さが身にとおる中を、外で水の中に幾度も手を漬けながら米をとぐのは、なかなか一通りの我慢では出来ないことである。〜(中略)〜こうしてこの辛抱によって、私は自炊に馴らされたのである。」
(資料E)やがて、賄い付きの寄宿舎が出来て、自炊生活からは解放されたそうです。

 井戸水の冷たさはもちろんですが、白濁した水が透き通るまで、何度も研ぎ汁を替えることも大変でした。白濁の原因はお米についたヌカです。風でヌカを飛ばす精米技術が進歩したので、今ではその回数はずいぶん減りました。昔は研ぎ汁を無駄にせず畑にまいたり、床掃除や洗顔、油汚れを落とすときなどに活用しましたが、今では台所の排水溝へそのまま流してしまうことが多く、環境汚染になると指摘されてきました。研ぎ汁には下水処理施設でも分解されないチッソやリンが含まれていて、最終的に海水の富栄養化をもたらし、赤潮やアオコなどの発生原因ともなるそうです。こうした環境への配慮もあって無洗米が普及しているのですね。
 日本には1,200種類ものお米の品種があるそうですが、流通や保管状況が良くなってきたので高級なブランド米でなくとも、上手な炊き方でいくらでも美味しいおむすびは作れます。
 美味しいからと言って白米ばかり食べることによる栄養の偏りは「江戸患い」として前号でも紹介しました。それを少しでも防ぐための方法として考案されたのが、おむすびに塩を付けたり具を入れたり、海苔で巻くという工夫です。


保存性を高めるのはもちろんですが、塩でミネラル分を摂り、具の「梅干」に含まれるクエン酸による食欲増進・疲労回復効果、海苔には、鉄分・カルシウム・ミネラルの他、ビタミンB1(糖質の分解)とビタミンB2(脂肪の燃焼)など豊富な栄養が含まれています。おむすびに海苔を巻くようになったのは、天然の岩海苔を採集して乾燥させただけだったものが、浅瀬で養殖されるようになり、江戸時代中期に紙漉き工法を応用した四角い「板海苔」が登場してからといわれています。当時の衛生環境を想像すれば、焙った海苔を巻くことで携帯時には直接空気に触れず、飯粒が手につかない、保存性が増し、しかも栄養価が高いと良いことずくめでした。ちなみに、海苔はツルツルしているほうが表、ザラついているのが裏だとされています。おむすびに巻くときも表裏を間違えないように注意すると見た目もきれいです。また海苔は表から焙った方が、焦げにくいそうです。海苔の巻き方にも全体をくるむものや、着物を着せるように巻くなど様々な方法があります。全国各地の特徴的なおむすびの中には、海苔の代わりに野沢菜や高菜、とろろ昆布などを巻いたおむすびもあります。
 保存性を増すための更なる工夫のひとつが芳ばしい香りと歯ごたえが魅力の焼きおむすびです。
「昨日の残飯を幾つも握って、母が早朝からモチ網にのせて付け醤油で焼き焦がしてくれた焼きお握り。あの醤油と飯の焦げ合う匂いがたまらなくうれしかったが、然し、近来の家庭では、そんな悠長な時間は持つまい。また、昨日の残り御飯を饐えさせては、と苦労するような生活でもなくなった。けれど、稀れには、握り飯はいいものだ。」
(資料E) と書くのは作家の吉川英治(1892−1962)です。今も人気の高い焼きおむすびですが、家庭から囲炉裏や七輪が消えた現代、レンジやトースターで作ってみるものの、なかなか美味しく出来ません。出汁醤油を塗っては裏にし、塗っては表にしながら適度なコゲをつけられる炭火で焼くのがなんといっても一番です。

 美味しいおむすびへの道には、水加減、火加減、塩加減…いくつもの加減が必要ですが最も重要なのが、結ぶ時の力加減です。外側はしっかり、内側はふんわりというのが理想のおむすびです。指の曲げ具合、スナップの効かせ方、腰のいれかた…多少の熟練が必要となります。 「握り手に依って、お握りも亦、一様な物ではない。」と書くのは前出の吉川英治。吉川は母親の掌で無造作に握られた飯粒の微妙な握り加減の巧みさを絶賛し、「貧しい中に沢山な子を育てた母親の掌は、いつか、釜底のオコゲに一塩まぶして握る早業にも、熱い飯粒を、すばやく、米の香や味の逃げないうちに、適度に握りこなす技術にも、微妙な持ち味を、その掌に持ってしまったものだろう。」として、少年時代から辛酸をなめ尽くしてきた自身が持つ慈母の思いを綴っています。(資料E)

 おむすびの大きさは、食べる人や持ち運ぶ容器などによって変わってきます。[花の里]でたくさんのおむすびを結ぶときは、大きさが均等になるように一度小振りな茶碗にご飯をつめて、ラップを敷いたまな板にふせたものを塩をつけながら次々と結んでいきます。5〜6名ほどの流れ作業になります。衛生面にも配慮して、三角巾とマスクは必需品、手にはベタ付きにくいポリエチレン製の使い捨て手袋をはめています。最近では、一般のご家庭でもラップを使っておむすびを結ぶことが多いようですが、そのままラップでくるんでしまうと、内側に水滴がついて保存性が損なわれます。個装するのなら通気性のあるアルミホイルの方が良いでしょう。出来れば、古来より高い殺菌効果が認められてきた竹の皮や笹の葉、経木や葉蘭などにくるめば焼却しても土に還るのでお薦めです。持ち運びにも、密閉容器でなく竹で編んだかごや曲げわっぱなどに入れれば保存性はさらに増します。


 本誌61号[おむすび礼賛]前編を発送する直前に起きた東日本大震災。巨大な津波は多くの人命を奪いました。原子力発電所の事故は未だ予断を許さない状況が続いています。被災地では、復興への光がようやく見え始めたとはいえ、大きな声で[おむすび礼賛]と、とても言えない食糧事情であると察します。
 被災地での過酷な環境の中、たくさんのおむすびを竹のかごで背負い自宅避難のお年寄りへ配り歩く幼い少女の映像を見ました。また、「被災地では住民からものをもらってはいけない」と厳しい規則のある米国海兵隊の兵営に、地元のお年寄りが差し入れたおむすびを、「心遣いがうれしかった」と快く受け取ってくれたという新聞記事を見ました。
 人の心も満たすおむすびの力――震災からの復興は、日本の無縁社会の終わりである、と信じたい。(文責:編集部)



■記載の事柄・史実について誤りがあれば、それはひとえに編集小子の不見識・不勉強によるものです。文中での敬称略と併せてご容赦願います。 ■以下の文献・WEB SITE・その他(順不同)を参考にさせて頂き、関係諸法令に基づき引用させて頂きました。引用(丸数字資料)にあたっては本文に忠実に、旧仮名遣い・旧漢字を使用している場合があります。 「おにぎりおむすび風土記」生内玲子・著(日本工業新聞社)@/「近世風俗志(守貞謾稿)五」喜田川守貞・著(岩波書店)A/「にっぽん食探見」長友麻希子・著(京都新聞出版センター)/「裸の大将放浪記」山下 清・著(ノーベル書房)D/「県民性大解剖 隣りの研究」毎日新聞地方特報班・編著(毎日新聞社)/「食のルーツ なるほど面白事典」日本博学倶楽部・著(PHP研究所)J/「日本人と食べもの」田村真八郎・著(丸善)G/「食物と心臓」柳田國男・著(講談社学術文庫)F/「バナナの皮を食う」暮しの手帖書籍編集部・編(暮しの手帖社)E/「漱石の思い出」夏目鏡子述・松岡譲筆録(文春文庫)B/「いかめしの丸かじり」東海林さだお・著(朝日新聞社)L/「ごはん通」嵐山光三郎・著(平凡社)C/「料理のきほんはおにぎりから」野崎洋光・著(生活情報センター)/「おむすび天国」相澤菜穂子・著(アスペクト)/『沖縄家庭料理入門 おいしさの秘密は「ティーアンラ」』渡慶次富子・吉本ナナ子共著(農文協)M/「こねて、もんで、食べる日々」平松洋子・著(地球丸)/「食べるだけで幸せになれるいのちのごはん」ちこ・著(青春出版社)/「美味くて徳用御飯の炊き方百種」(食養研究会・編)H/「土鍋でおいしいごはんを食べよう」山本真里・著(講談社)/「阿修羅のごとく」向田邦子・著(文春文庫)I/「ごはん革命」西島豊造・著(道出版)/「ごはん道楽!」奥村彪生・著(農文協)/「花ひらく 心ひらく 道ひらく」坂村真民(講談社+α新書) ■以下WEB SITE 坂村真民の世界〜ようこそタンポポ堂へ〜/ごはんを食べよう国民運動/米穀安定供給確保支援機構/OCNブリエ/WIKIPEDIA The Free Encyclopedia

【お知らせ】 詩人・坂村真民の記念館が、氏と縁の深い愛媛県伊予郡砥部町に2012年春オープンする予定です。詳しくは砥部町のWEB SITE、
または「坂村真民の世界」(http://homepage2.nifty.com/tanpopodou/)をご覧下さい。

本記事は2011年夏に発行の「花の心第62号」に掲載されたものです。 

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