DVD全盛の時代になり、多くの名作映画が入手し易くなりました。1946年(昭和21年)にハリウッドで制作された『子鹿物語』もその中の一本です。 子供の頃に絵本や児童書で親しんだ懐かしさから、観てみてびっくり。少年と子鹿の心温まるお話しなどという、描いていた牧歌的なイメージに思い切り足払いを喰わされることとなりました。

 折良く昨年、大人向け完訳本として新たに出版された『鹿と少年』を読み直して、またまたびっくり。記憶の中にあ った『子鹿物語』は、「編集者の意図」や「教育的な配慮」やらの偏光装置を通して出版された抄訳であ りダイジェスト版だったという訳です。

 閉塞感漂う現在の社会状況を、80年前の世界恐慌の時代に似ているというアナリストもいますが、まさにその時代に書かれ出版された『子鹿物語』。今号では、皆が元気を無くしていた時代に、自ら大自然の中に身を置きながら揺るぎない人生観と自然観を描いた作家、マージョリー・キナン・ローリングズの生涯を【探〜tan〜】してみました。
白岩伸喜(編集部)



 
1896年(明治29年)8月8日、マージョリー・キナン・ローリングズ(Marjorie Kinnan Rawlings)はアメリカ合衆国のワシントンD.C.で生まれました。帝国主義まっしぐらの頃のアメリカで比較的恵まれた家庭の長女だったマージョリーは、幼い頃から読書好きなうえに、近所の同世代の子供たちを集めては創作話を語って訊かせるほどの"お話し好き"の少女でした。自己顕示欲の強い少女であったと自身が振り返っています。

 6歳の頃から文章らしきものを書き始め、11歳の時にワシントンポスト紙への投稿で2ドルの賞金(原稿料)を手にし、15歳の時には女性雑誌[マコール誌(McCall's Magazine)]のコンテストで次点を獲得、『The Reincarnation of Miss Hetty(ヘティ嬢の生まれ変わり)』と題した物語が掲載(1912年8月号)されました。一方でミシガン州に住む祖父母の農場を訪れたときに触れた雄大な自然や、家族で週末を過ごした郊外の花や緑に親しみ心惹かれる少女でもありました。



 その後も文学への夢を持ち続けながら育ちます。1913年、17歳の時にアメリカ特許庁へ勤めていた父親を亡くし、母親と弟と共に中西部のウィスコンシン州マディソン市に移住しました。母親は神経質でしつけに厳しく、マージョリーとは緊張関係にあったといわれています。進学した名門ウィスコンシン大学では演劇クラブに所属、専攻した「英文学」で学位を取得。1918年の卒業と同時に、母親の元を離れ単身ニューヨーク市へ移り住みました。翌年、YWCA(キリスト教女子青年会)に勤務していた23歳の時に新聞記者で同じ作家志望の青年チャールズ・A・ローリングズ(Charles A. Rawlings)と結婚します。

数年間は共にニューイングランドに住みながら仕事を続けます。マージョリーは設立されたばかりの新聞社ロチェスター・タイムス(Rochester Times)に勤務しジャーナリストとして活躍。事件記事の他、数多くの女性向けコラムやエッセイなどを担当していました。中でも、ユーモアとアイデアを織り交ぜて書いた主婦のための詩は多くの地方新聞に2年間同時連載され好評を得ました(編集されて1997年に刊行)。
こうして結婚後の10年間は働く女性、女性ジャーナリストの先駆けとして華やかな活躍が続くものの、小説家としてはなかなか芽が出ませんでした。彼女が書いていた物語は、当時人気のあった"ゴシック・ロマンス(Gothic Romance)"と呼ばれる中世ヨーロッパを舞台にした小説でした。 

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