1928年、第一次世界大戦が終わって間もないアメリカが未曾有の経済発展を遂げていた時代、マージョリーは小説家として一本立ちするための「何か」を模索していました。そんな時に夫のチャールズと共に休暇を利用してフロリダ半島への旅行に出ます。ニューヨークから蒸気船に乗って大西洋の沿岸内水路を辿る旅でした。
マージョリーは、この時の旅で半島北西の内陸部に位置する小さな村の原始的風景に強く惹かれました。それはクロス・クリーク村(Cross Creek)という名の通り、開拓時代の面影を色濃く残す水郷地帯、湖と原生林に囲まれた土地でした。
移住して作家活動に専念することを提案しますが、夫チャールズは賛成せず旅から戻ったある日、口論の末に「タイプライターと一緒にクロス・クリーク村へ行ってしまえ」とマージョリーを突き放します。時に頑固なほどに意志の強さを示すマージョリーは借入金に加え、父が持っていた郊外の農場を売った僅かな遺産で、そこに72エーカー(約8万8千坪)のオレンジ畑を購入、チャールズへの離婚申し立て手続きを済ませてから単身移住しました。

この土地との出会いが、後にアメリカで国民的な作家と呼ばれるマージョリー・キナン・ローリングズの一大転機となりました。自身【大人への旅立ち】の時であったと晩年に語っています。

一般によく言われるアメリカ人の性格に『移動好き』というものがあるが、家を替え、職業を替え、場合によっては家族をも取り替えて、折々に人生をリセットしながら動いていくのがひとつの『アメリカ的』なありようならば、それは、1928年のマージョリーの決断にも確実に見てとれるように思われる。(松本朗上智大学准教授『鹿と少年』解説より)

 今日の我々がイメージするフロリダ半島といえば、温暖な気候で、青い空白い砂浜のマイアミ・ビーチ(Miami Beach)や、ディズニー・ワールド(Walt Disney World)に代表されるアメリカ有数のリゾート地・一大観光地ということになります。
しかしマージョリーの移住した1928年(昭和3年)当時は【クラッカー=Cracker】と呼ばれるフロリダ開拓民の子孫たちが自然と共存しながら素朴に暮らす貧しい村でした。

おそらく、ペニーは何度も傷ついた末に、広漠として人を 寄せつけぬ矮樹林の安らぎに、自分の望む静けさを見出し たのだろう。ペニー・バクスターは、心のどこかに癒えぬ傷 を抱えていた。人に触れられれば、その傷が痛んだ。が、 マツの木が触れれば、傷は癒された。(M・K・ローリングズ 著/土屋京子訳『鹿と少年』第2章より)



 都会育ちでしたが豊かな感性を持つマージョリーは、花や緑の持つ力を信じ、大自然の懐に抱かれることを求めたのかもしれません。彼女がフロリダに移住して最初に書いた物語は、1931年スクリブナーズ・マガジン誌(Scribner's Magazine)2月号に掲載された『Cracker Chidlings(クラッカーの悪ガキども)』でした。後にマージョリーの作品の主体となる前述のクラッカーたちを描いた短編でしたが、マージョリー自身がその重要なモチーフとの運命的な出会いに気付いていないばかりに平凡な作品となり、編集者の評価は決して高くありませんでした。ちなみに同号で巻頭掲載されたのはマージョリーより3歳年下で、前年に出版した『A Farewell to Arms(武器よさらば)』で作家としての地位を確立していたアーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway/1899〜1961)の短編でした。

続いて同誌スクリブナーズ・マガジン誌4月号の懸賞小説のために書いた物語を編集者へ手紙を添えて送りましたが、突き返されてしまいます。編集者はマージョリーの作品そのものよりも、むしろ作品に添えられていた彼女の手紙に書かれたクロス・クリーク村という人里離れた小さな集落で生き生きと暮らす人々に興味を惹かれました。

マージョリーの才能を信じた編集者は彼女を励ますためにクロス・クリーク村を訪ねます。「何故、無能な駆け出し者にこんな時間を割いてくれるの」と、作品が認められず苛立つマージョリーに対して編集者は「何故、良く知りもしないイギリスの古城や、ティーパーティのことを書こうとする? 何故自分の身の回りの生活を書こうとしない?」 「私が知る作家の中で最も才能のある君の【傑作】を持ってきたよ。それはこの手紙だ。ここでの生活を書くとき、君の筆は最も冴えている」と告げます。編集者はマージョリーに書き直しを求め、タイトルも『Jacob's Ladder(天使の吊り梯子)』に変えた作品で見事に受賞へ導き700ドルの賞金を与えました。その編集者こそ、彼女の生涯の友であり恩人となる伝説の名編集者マックスウェル・E・パーキンズ(William Maxwell Evarts Perkins/1884〜1947)でした。パーキンズが担当し世に出た作家には、前出のアーネスト・ヘミングウェイ、『The Great Gatsby(華麗なるギャツビー)』のF・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald/1896〜1940)、『From Here to Eternity(地上より永遠に)』のジェームス・ジョーンズ(James Ramon Jones/1921〜1977)などがいます。


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