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だれだって、人生がいいものであってほしいと思うし、楽に生きたいと思う。たしかに、人生はいいものだ。すごくいいものだ。だが、楽ではない。人生は人間をぶちのめす。立ちあがると、またぶちのめす。〜(中略)〜ぶちのめされたら、どうするか?それが自分の背負うものだと受けとめて、前に進むしかないんだよ。
(M・K・ローリングズ著/土屋京子訳『鹿と少年』第33章より)
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『子鹿物語』という一篇の小説を構成する様々なエピソードや、登場人物たちを【時代】という視点から捉え、改めて【新完訳】を読み直してみると、後年映画化された際の邦題や、NHKが1980年代に制作したテレビアニメーション、各地で上演されてきた人形劇などで永く日本で定着している『子鹿物語』というタイトルは相応しくない、誤訳に近いという考え方があることも理解できるというものです。単なる教訓じみた児童文学の枠に収まりきれない小説のスケール感、奥深さに圧倒されます。生きる勇気をもらった気分にさえなれます。
マージョリーは『子鹿物語』の取材に際しては、フロリダ開拓民のパイオニアたちと数週間暮らしながら様々なことを学んだといいます。共に月光浴をしたり、釣りはもちろん危険なワニ狩りや熊狩りにも参加。むき出しの自然の中で、彼女は旺盛な独立心を持って力仕事にも汗を流しました。
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それにしても、これが女の書く文章だろうか。著者マージョリー・キナン・ローリングズは、名前からしても、また原書の裏表紙に印刷されている顔写真を見ても、たしかに女性である。しかし、クマやシカやオオカミを狩る場面の豪快かつ迫真の描写、未開の地に生きる男たちの汗と泥にまみれた体臭すら漂ってきそうな粗野でユーモラスな会話など、まるで男の目で男の世界を見てきたような勢いがある。かと思うと、独特な言葉づかいでフロリダの美しくダイナミックな自然を描写し、少年のナイーブな心を優しくこまやかな観察眼でとらえる。ねたましいほど緩急自在の筆だが、翻訳は一筋縄ではいかなかった。
(M・K・ローリングズ著/ 土屋京子『鹿と少年』訳者あとがきより)
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