食生活は豊かに、西洋化されていきました。当時の「厚生白書」では、白米食偏重による栄養摂取のアンバランスを盛んに問題視し、主食に占める米食の比率が戦前の8割以下に低下しました。「お米を食べるとバカになる」といったトンデモないデマまで飛び交いましたが、人々はおむすびを求めていました。
都会に単身赴任者や若い労働者が増えたことで、それまでは家庭の手作りがあたりまえだったおむすびが「商品」として売り出されるようになりました。惣菜店、町の小料理屋、あるいは餅菓子屋の店頭で売られ、さらにおむすび専門店も誕生しました。当初はひとつひとつ手で結んでいたおむすびを大量生産するため、「押し型(抜き型)」によって成形することが常態化していったのもこの頃です。オフィス街で働く女性たちの間でにわかなおむすびブームが興き、喫茶店のランチメニューに登場したおむすび定食が人気を博します。おむすびの具(芯)に、たくさんのバリエーションが加わり始めました。
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