「紫陽花の花が綺麗に咲いたから、学校に飾りなさい。」「水仙はいい香りだねぇ。」と、父方の祖母や母が、その季節の花を包装紙にくるんで登下校時に持たせてくれました。
まだ、ランドセルに背負われていまっている様な小学校低学年の私には、その花束は大きすぎる事と、一緒に通学する中には、誰もそのような友達はいないので恥ずかしくて下を向きながら歩いていました。
担任の先生が、「千波ちゃんが、お家に咲いた花を持ってきてくれました。」と、花瓶に生けて教壇の横に置いて、「どうもありがとう。」との言葉をかけて下さると、恥ずかしい気持ちが消えて、嬉しさと誇らしさが小さな胸に溢れたことをよく覚えています。
母の実家の祖母も、小さな鉢に自分で蒔いた種や友人に分けてもらった山野草を遊びに行く度に私に見せて、楽しそうにいろいろと説明してくれました。今でいうお洒落なガーデニングではないかもしれないけれど、植物を愛する気持ちは幼い私にもひしひしと伝わってきたものです。
中学の担任のA先生は、例えば生徒達が(多分、先生の思い通りに)行動しないとホームルームや授業を放棄して、教室中に飾られている先生が育てた花のプランターの手入れを始めるのです。そうすると、私達は先生が怒っていると察知して、真面目に素早く事を成し遂げるのです。
生徒達を叱りつけるよりよほど有効的な方法であり、植物に触れる事によって、先生の気持ちも落ち着いていくのでしょう。これは園芸療法のひとつであったと今では思います。
この様な環境の中で必然的に私は園芸の道に進み、全寮制の園芸科で三百六十五日植物に囲まれた学生時代を過ごしました。学生ひとりひとりの誕生日には、先輩や友人達が花壇に咲いているバラやデルフィニウムなどで素敵な花の冠やブーケを作ってくれました。
学生時代は、この歌を皆でよく口ずさんでいました。社会人になり、あれから年月はだいぶ経ったけれども、今でもふとした時にこの歌を思い出します。世界の人達が、一番近くにいる人を思いやることができるのであれば、それが一番の平和への近道なのだと思います。
私は、小さな花かごをたくさん集めた様なガーデンを日本の玄関の成田に作るのが夢であり、それが叶えられる事ができる様に日々こつこつと希望の種を蒔いて歩んでいこうと心にいつも留めております。